耳に響いた音は聞き慣れた音なのに、まるで初めて聞いたかのような衝撃だった。



時間は残り少ないのだから、立ち尽くしている場合ではない。
そう思ってはいても体が鉛のように重く動かない。
フラフラと歩くと転がっていたボールを拾い、手のひらの冷たい感触で目が覚めた。





落ち込んでいる場合じゃない!俺がしっかりしないと――…。





仲間に声をかけるために顔を上げれば、肩を落としている仲間たちの姿が目に入る。
しかし、その中で一人顔を上げて真っ直ぐに前を睨んでいる奴がいる。


無意識に呟いた名前を呟くと、その声に反応してこちらへ走ってきた。

「まだ5分もあるんだ!必ず点をとってやる!」

ボールを受け取りながら、自分に言い聞かせるているかのように言う。

「頼むぞ!!」

俺の言葉に頷き、歩は中央へと走り出した。





「顔を上げろ!まだ試合は終わってねぇんだ!点をとるぞ!!」



すれ違う仲間たちに激を飛ばす。
自信に満ち溢れている歩の態度に仲間たちは感化され、一気に雰囲気が変わる。

自身を奮い立たせ、声を出す。
最後の気力を振り絞って一気に攻め込み、勢いにのって流れを徐々に引き寄せていく。


歩が中央をドリブルで突破すると、ゴール前に走りこむ仲間が二人いる。



パスかシュートか。



判断がつかずに一瞬迷いをみせたDFを歩は見逃さない。
歩が決める、そう確信した直後に歩がシュートを放った。

ゴールの上をオーバーしそうなボールは、ゴール手前で急降下して目を疑いたくなるような軌道を描くに違いない。

フリーキックの練習中ですら4本に1本しか止められず、ゲーム中では一度も止められなかった。
あのシュートを相手校のゴールキーパーが止められるとは思えない。


その予想通りの軌道を描き、ボールはゴールへと吸い込まれていった。



残り1分。
ようやく1−1の同点に追いついた。
ロスタイムは2分ある。


先ほどまでの絶望感は嘘のように消え、今は勝利への希望に満ちている。
仲間たちにもみくちゃにされながら、今では試合中にしか見れないあどけない笑顔を見せた歩に。
エールと笑顔を返す。

しかし、すぐに表情を引き締めて攻撃に備える。
ここでゴールを許したら、仲間や歩に合わせる顔がなくなる。





激しく相手にあたるDF陣に指示を飛ばし、守りの体系が崩れないように注意する。
集中力が高まり、フィールド全体を真上から見ているかのように全員の動きが把握できる。

この状態の時に失点した事は過去に一度もなく、今も飛んでくるボールをスローモーションで
見ているかのようにはっきりと見えた。

難なく正面でボールを受け止めると、前線へ走り出していた歩へ向かってボールを蹴り飛ばす。


審判が何度も時計に視線を落とすのが見えた。
DF陣に声をかけ、全員で敵陣へなだれ込む。
カウンターを阻まれて得たコーナーキックがラストチャンスになった。



右コーナーに立つ歩は一度観客席に視線を向けて、深呼吸してからゴールを見た。

自分で直接ゴールを狙うかと思ったが、一瞬視線が交わったことで俺にボールが来ると確信した。
まるで同調しているかのように、歩の動きや歩が思い浮かべているボールの軌道がわかる。





呼吸を合わせ、タイミングを合わせる。



俺が走り出すと同時に歩を動いた。



最高のタイミングで最高のパス。



頭に確かな感覚を感じると、ボールはゴールへと突き刺さった。
数分前には絶望を感じさせた音が、今度は勝利を告げる音となる。






ホイッスルとともに、背中に重みを感じる。

「ナイスパス、歩!さすがだな。」

俺の言葉に当然とばかりの得意げな笑みを浮かべながら離れ、そして仲間たちと手を交わす。
歩の後に続き、仲間たちと勝利の喜びを分かち合う。


最後に観客席の前に整列して、応援してくれた人たちへお礼をする。

拍手に包まれながら顔を上げると、観客の中に見覚えのある顔。
ふと隣に立つ歩を見れば、真っ直ぐに一点だけを見ていた。


俺が知る限りでは中2の頃から、公式戦にはいつも応援に来てくれている。
あの彼女の事は俺も歩も知っている。

学校が違うのに、どうして応援に来てくれているのかも知っている。
それなのに、直接言葉を交わすことはなかった。

俺も歩も彼女に声をかける事はしなかったし、彼女も俺たちに声をかけなかった。


俺達の勝利を自分の事のように喜んでいる彼女は、歩を見つめて微笑んでいる。

歩もまた、そんな彼女を眩しそうに見ている。


二人の視線が何を物語っているのか、わかり過ぎるくらいだというのに。
二人とも黙って視線を送り合うだけなのだ。

先に視線を反らすのはいつも歩で、彼女に背を向けて歩き出す。


その歩の背中を彼女がずっと見つめている事を知っているのか、あるいは知らないのか。
わからないけれど歩が振り返ることはない。




「いいのか?」

言うつもりはなかったけれど、思わず口に出していたらしい。
一瞬驚いたような顔をしてけれど、何の話なのか通じたらしく歩は頷いた。

「まだダメなんだ。」

「どうして?」

俺の問いに、歩は言葉を探しながら呟く。

「今はサッカーのことしか考えられないし、考えたくない。だけど言葉を交わしたら抑えられない気がする。」

「サッカーを蔑ろにするかもってことか?」

意外な答えに驚く俺に、歩は笑った。

「それはない。俺も郁哉もサッカーを忘れる事なんてないだろ。」


確かに、俺たちはいつだってサッカーが一番だ。


「つまり……俺はまだ何も成し遂げてないから、だから自分で許せないんだ。」


今の言葉は、聞く人にとっては嫌味以外の何物でもない気がする。
地区大会優勝やMVPを獲得し、選抜へ召集されたこともは功績にならないと言うのか。
あるいは……。


そんな俺の考えに気がついたらしい歩は苦笑する。

「去年は全国大会へ行けたけど、優勝はできなかった。選抜でも満足できるほど結果を残せたわけ
じゃないし。周りがなんて言おうと、俺の目標はまだ何一つ達成できてない。」


やはり、そうなのか。
自分の考えと歩の考えが同じだった事がうれしかった。






ずっと一緒に育ってきて、誰よりもお互いを理解していると思う。
けれど、初めて歩の気持ちでわからない事ができた。



そのことで何か変わるような気がしていたけれど、やはり何も変わらないのかも知れない。



誰かを好きになる気持ち、それが俺にはわからない。
可愛いなとは思っても、特別に誰かを意識した事はない。
だから歩が試合中によそ見をした時は、不思議で仕方なかった。

試合に集中出来なくなったのかと不安すら覚えたというのに。
集中出来なくなるどころか、集中力が増している事に気がつき、驚いた。



彼女が見ているから。



そんな事を歩が考える日が来るなんて、想像もしてなかった。
他人の目を気にするような奴じゃないって事を良く知っていたので本当に驚いたのだ。

初めて見た時から彼女の事を可愛いと言っていたし、気にしているのはわかっていたつもりだったのに。





「何か目標を達成したら彼女に声をかけるのか?」

「どうだろうな。」

「うかうかしてたら誰かにとられるかもしれないのに?」

「そうだな。」

あっさりと認めたので驚いて歩を見ると、不敵な笑みを浮かべていた。

「もし、そうなったら奪うだけだろ?」


歩なら本当にやりそうで怖い。

「そういえば。樵君に聞いたんだけど、俺たちと同じ高校へ進学する予定らしいぜ。」

「そうなのか?」

「ああ。」

「つまり、誰かに奪われる事もないってことか?」



同じ学校にいて、誰かに奪われるなんて事を歩が許すはずがない。

歩は何も答えずに笑みを浮かべる。

試合中と同じ自信に満ち溢れている表情を見て、彼女にやや同情する。
きっと、歩に振り回される高校生活になるに違いない。


振り回されるのは彼女だけではないかもしれないが…。






いつか俺にもそんな女性が現れるのだろうか。

その時は俺も歩のようになるのだろうか。



やっぱり、そんな自分は想像できないな。





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