受話器を置いて、しばらく呆然としていた。


今の自分の正直な気持ちがわからない。
嬉しい気持ちはもちろんある。


俺の夢。

もちろん夢などという言葉で終わらせるつもりもなく、確実に叶えると自分に誓
っていた夢だけれど。
こんなに早くにチャンスがくるとは、正直考えていなかった。


そのことに気がついた時、驚いた。
当然、考えるべきことを全く考えていなかった事に。
もし3年前の自分なら即答していたはずの答え。
なのに今は言えなくなっていた事に驚いた。


このことで、自分が迷う日がくるとは思っていなかった。


小さい頃から迷わず突き進んできた道で、初めて分岐点に立ったのかもしれない。

しかも、それが自分ではなく、他の誰かの事を考えて迷うなんて。
情けないと思う。


けれど・・・・。










ガチャと玄関の扉が開く音がした。


「ただいま〜。って、何してるの?」

帰ってきた詩織は、廊下に突っ立てる俺を見て何事かと不思議そうな視線をよこ
す。

その視線を無視して、俺は詩織の横をすり抜けた。

「郁哉のとこに行ってくる。」

「え? ちょっと、お兄ちゃん?!」

後ろで驚いている詩織の声が聞こえたような気がするが、立ち止まることなく外に
でた。










隣にある郁哉の家は呼び鈴を鳴らすこともなく、玄関の鍵をあける。

自分の家と自分の部屋、郁哉の家と郁哉の部屋、すべて両方を同じチェーンで繋ぎ
持ち歩いている。

昔から、いつなのかも覚えていないくらい小さなころから、俺も郁哉もこの4つの
鍵を持っていた。





リビングに顔を出せば、郁哉の父親がいた。
突然現れた俺に驚くこともなく、笑顔で迎え入れてくれる。


「久しぶりだな。また背が伸びたんじゃないか?」


カメラマンとして長期出張していたおじさんに会うのは3カ月ぶりだ。


「まだ身長止まってないから。おじさんは焼けた?」

「そりゃぁ沖縄で景色ばっかり撮って歩いてたからな。見てくか?」

「悪いけど、あとで。郁哉いる?」

「ああ、いるよ。進くんは家にいるかい?」

「親父なら家でテレビ見てる。おじさんがビール持って現れたら喜ぶと思うぜ。」

「そうか。なら、そうしよう。」


鼻歌まじりにキッチンへと向かったおじさんを横目に、俺はリビングを出た。











二階にある郁哉の部屋へ向かうと、ノックをして返事を待たずに扉を開く。

サッカー情報誌を見ていた郁哉は、俺の方を見ることなく雑誌に視線を落したまま
でいる。


俺はそんな郁哉の後ろを通り、ベットまで歩くとそこに倒れこむ。







「珍しいね。」


しばらくして、郁哉がポツリと呟いた。


「何が?」


いつの間にか俺を見ていた郁哉と視線が合う。


「歩が悩んでること・・・というより。それを態度に出していることが、かな。」

「・・・・・・・。」

「何をそんなに悩んでるんだ?」





郁哉がとじた雑誌の表紙を見ながら、俺は一言呟く。


「電話があった。」


それだけだと、普通何も分からないはずだ。
けれど、郁哉は何か思い当ったらしい。



「もしかして・・・斉藤さんから?」



俺が頷けば、郁哉はやっぱりなという表情をする。



「郁哉にも電話あったんだろ?」

「うん。俺にも誘いがきてるらしいんだ。」

「受けるのか?」

「まだ返事はしてないよ。今度あって話を聞いてから決める。」

「・・・だよな。」



「歩なら即決するかもしれないと思ってたんだけどな?」


郁哉の言葉に俺は黙りこむと、郁哉は苦笑した。


「今は、さすがに即決は無理か。」










郁哉が雑誌を手にとる。


「だけど18歳っていう年齢はサッカー選手にとって若すぎるって歳じゃない。
 海外には16歳でトッププロになる選手もいることだしね。」


表紙に大きく印刷されている選手は、世界一の称号を得た若い外国人選手だ。
彼も10代の時からトップチームでプロ選手として活躍している。



「そうだな。日本人だって高校を出て海外へ留学するのも珍しくなくなった。高卒
 後に海外でプロ契約した例もある。それが成功しているのかという問題はあるけ
 どな。」





まだまだ日本のサッカー技術は海外に劣るというのが世間一般の認識だ。


海外へでて活躍どころか、試合に出る事も出来ないという現実。

海外に行って試合に出れないなら、国内で試合に出た方がいいという考えも多い。










「けれど、歩が悩む理由はそんな事じゃないだろう?」


やっぱり郁哉にはバレている。



「レギュラーを掴むのは難しいだろう。チャンスだってなかなか掴めないに違いな
 い。」

「けど、挑戦してみる価値はある!」

「だよな。歩も俺と同じように、その高い壁にチャレンジしたい気持ちの方が強い
 んだろ。だからこそ悩んでいるのは、そういうのとは別次元の話だ。」










「馬鹿な奴だと思うか?」


俺が自嘲すあるように呟く。


「どうして? お前にとっては大事な悩みなんだ。だったら俺が馬鹿だなんて思う
 はずないよ。」



そうだな、郁哉なら馬鹿にしないと分かってるから俺はここに来た。



「どうしたらいいと思う?」

「さぁ。でも、お前がどうしたいか、なら分かる。」





「・・・逢いに行ってくる。あと頼むな。」


俺が立ち上がると、郁哉は笑顔で頷いた。






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